2019年06月05日

一ヶ月ぶりの不忍池


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同じ日常が続いていた

posted by 里実福太朗 at 13:24 | ■里ふくろう通信

2019年06月04日

格安ツアーで台湾へ

それにしても安い。航空券とホテルだけ旅行会社で予約を取ってもらうフリーのツアーとはいえ、三泊四日で2万7千円とは本当に格安だ。ホテル指定・ツインルーム確保のための費用、さらに空港使用税などの税金類を加えてもほぼ4万円とはありがたい。もっとも航空会社はLCC、だからこの料金が可能なのだろう。

LCCを利用するのは今回が初めて。シンガポール航空のLCCで台北を経由してシンガポールまで飛ぶ。低価格なのは魅力的だが、今までなんとなく敬遠してきたのは想像される座席の狭さ。ただ、台湾まではほぼ4時間、そのくらいなら我慢できないことはなさそうだ。

横一列の座席数は「3/3/3」の9席。座ってみると、前席の背もたれとの間隔は案外広かった。隣の席との間隔もある程度確保されていて、窮屈な感じは受けない。以前ヨーロッパに行ったとき乗ったエコノミークラスの座席の方が窮屈だった印象が残っている。

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カーテンで区切られた前方は、ビジネスクラスにあたるスクートビズの席。エコノミークラスでは食事は提供されないうえに、飲食物の持ち込みも不可。機内で購入することもできるが、ほとんどの人はジット我慢していた。安定飛行に入ってしばらくしてからカーテンが閉められた。そして漂ってきたのは、空腹感を刺激するおいしそうな料理のニオイ、カーテンの中では食事の提供が始まったようだ。

ムムム!香辛料多めの食事のニオイは、カーテンごときで遮ることなんかできるわけないだろ!!

注文するつもりはなくても、ついついメーニューを見て、彼らはどんなモノを食べているのだろうと想像してみるのだった。

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なお帰りに乗った機材は、横一列の席数は「3/3」、また戦後左右の間隔も狭かった。
posted by 里実福太朗 at 22:00 | _【new】2019台湾紀行

2019年06月03日

92歳の老婦人

「日本人ですか」
二二八紀念館で展示物を見てまわっているとき、突然問いかけられた。若い女性と連れだったかなり高齢の女性だった。訛りのまったくないきれいな日本語だったので、でっきり日本人だと思った。

「この子が、あの人たち日本人のようですよ、と言うものですから、ちょっと声をかけてみました」

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その高齢の女性は、日本人ではなく92歳の台湾人、若い女性は、東南アジアから働きに来ているヘルパーさんだった(専任のドライバーもいるそうだ)。92歳ということは終戦の時は二十歳、生まれた育った20年間は日本統治の時代、日本語の教育を受けて生きてきたということだ。きれいな日本を話すのも納得できる。現代の日本ではあまり聞くこともない正統派の日本語を話す人が目の前にいた。子供たちはみな海外に移住して、現在台湾で一人暮らしをしているということだった。

台湾の高齢の人は日本語を話せる、と耳にすることはあったが、実際にそういう人と出会ったのは初めてのことだった。
posted by 里実福太朗 at 23:51 | _【new】2019台湾紀行

2019年06月01日

二二八紀念館

二二八紀念公園の南端に「二二八紀念館」がある。

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この建物は、日本統治時代の1930年に台北放送局として建てられた。戦後、中華民国によって接収され、「中国広播公司」となり、その後台北市に移管された。

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かつて使われた放送局の設備


1947年に二二八事件が発生すると、抗議する人々によって台湾全土に向けた放送が始まった。しかし抵抗運動が武力によって鎮圧されたあとは、戒厳令が布かれ台湾の暗黒の時代が長く続いた。

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1987年の戒厳令解除を経て、事件と深い関わりがあったこの旧放送局が整備され、1997年2月28日に二二八紀念館として開館した。

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posted by 里実福太朗 at 00:28 | _【new】2019台湾紀行

2019年05月30日

アオバズクは抱卵中

今年もアオバズクがやって来てくれた。今は樹洞の中でメスが卵を温め、オスは外で見張りをしている。ヒナがふ化して、巣立ちしていくまでまだ1ヶ月以上を要するはずだ。

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posted by 里実福太朗 at 23:00 | ■里ふくろう通信

二二八和平公園の生き物たち

この公園には猫はいなかったが、いろいろな生き物がいた。

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この鳥は、やはりゴイサギか。
この公園の生き物は人になれているのか、かなり近づいてもすぐには逃げない。
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この鳥は不明。
亀もいた。
日本にいる外来種の亀のように首筋に赤い模様がないから、台湾の在来種か。
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ネズミもいた。
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一番多かったのがリス。
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もらっているエサはにんじんか。
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posted by 里実福太朗 at 01:10 | _【new】2019台湾紀行

2019年05月29日

二二八和平紀念公園

この公園は、もともとは日本統治時代に整備され1908年に開園したそうだ。

その後日本の敗戦によって、台湾は中華民国に接収されたが、彼らの圧政により本省人(戦前から台湾に住んでいた人たち)には不満が鬱積していった。そんな状況の中、密売タバコの取り締まりをきっかけとして、1947年2月28日に動乱が勃発し、多くの人民が虐殺された。戒厳令が布かれ、その後半世紀もの長きに亘って戒厳令下に置かれ、1987年にようやく戒厳令が解かれた。

1996年、二二八事件によって犠牲になった人々を慰霊し平和を祈念するための場として、この公園の名称を「二二八和平紀念公園」に改称した。

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posted by 里実福太朗 at 01:21 | _【new】2019台湾紀行

2019年05月27日

台湾のアオサギ(?)

今回の台湾旅行で利用したホテルから歩いて数分のところに、二二八和平公園がある。オートバイの喧噪の中にあって、緑の木々に囲まれた落ち着きのある空間となっている。

人間だけでなく、鳥や小動物の憩いの場となっている。その中にアオサギ(ゴイサギかもしれない)の姿もあった。

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posted by 里実福太朗 at 23:01 | _【new】2019台湾紀行

アオサギは子育て中

今年もこの時期、城址公園ではアオサギがギャーギャーと大騒ぎをしながら子育ての真っ最中。


親鳥のすぐ下にヒナが見える
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posted by 里実福太朗 at 22:25 | ■里ふくろう通信

2019年05月15日

最後のアイリスほか

アイリス系はニオイイリスから始まり、この豪華絢爛なアイリスで終わりとなる。
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posted by 里実福太朗 at 23:51 | ■里ふくろう通信