2019年06月28日

蜂の巣の構造は?

蜂の巣の中はどうなっているのだろう。処分する前に巣の構造を確かめてみた。

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大きなキノコのカサ状のものが、少し間隔を置いて三層になっている。太い柱が中心を貫き、それが三層のカサを支えている。家でいえば三階建て、太い大黒柱が中央にどっしりと据えられているという構造だ。

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posted by 里実福太朗 at 22:29 | ■里ふくろう通信

2019年06月27日

「里ふくろうコム」は工事中

「里ふくろうコム」はサイト構築システム(CMS)のを使っていた。しかし最近サーバー側のデータベースシステム(MySQL)がバージョンアップしてしまったため、旧来の「Xoops」では対応できなくなってしまった。そのため「里ふくろうコム」にアクセスできなくなってしまった。

最新の「Xoops」に更新すれば解決できそうなのだが、少々時間がかかりそうだ。現在「里ふくろうコム」には工事中と表示してある。
posted by 里実福太朗 at 23:03 | ■里ふくろう通信

2019年06月26日

今日の不忍池

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posted by 里実福太朗 at 12:48 | ■里ふくろう通信

2019年06月24日

姥が池の睡蓮が見ごろ

悲しい伝説が残る「姥が池」、その姥が池の睡蓮が今見ごろとなってる。

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posted by 里実福太朗 at 21:16 | ■里ふくろう通信

日本100名城の佐倉城

日本100名城は平成18年2月に選定され、千葉県では佐倉城が唯一選ばれた。写真塾のメンバーの一人が100名城のスタンプラリーに参加していて、佐倉城のスタンプ欲しいということで昨日案内した(もともとの目的は、アオバズクの写真を撮ることだったが)。

スタンプは佐倉城址公園センターまたは国立歴史民俗博物館内ミュージアムショップで押印できるのだが、当日はまだ二カ所で押せることを知らず、城址公園内を歩いてわざわざ遠くの佐倉城址公園センターまで行ってしまった。

途中猫と遭遇。
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【佐倉城本丸の復元模型】
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posted by 里実福太朗 at 18:03 | ■里ふくろう通信

2019年06月20日

昭應宮(2)

昭應宮を一通り見て、さあ次に予定している場所に行こうとしたとき、とある女性から声をかけられた。実は、その人の存在はその前から意識していた。こちらの様子をうかがいながら、機会があれば声をかけたそうな感じだった。

台湾の言葉で話しかけられても、何が何だか分からない。日本語はまったく話せないようだ。英語を話せる人ならば、カミさんが言いたいことを理解できるが、それもおぼつかない。

手招きするから、大丈夫かと思いながらも後をついていく。正殿横の通路を通って、裏側に抜け階段を上っていく。正殿の奥に、さらに立派な殿舎(後殿)があるとはあるとは分からなかった。そのことを教えてくれたことは、ありがたく思うのだった。

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これで解放してくれればよい印象で終わったのだが、その人はさらに訳が分からない言葉でまくし立てる。こちらはまったく理解できていないのに、そんなことには頓着せず、自分が言っていることが相手に伝わっていると確信しているかのように、一心不乱に話し続けるのだった。

そのうち封筒を取り出し、それを撮れと言う(身振り手振りで分かった)。
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さては売りつける魂胆か、と思い拒否の意志を示すが、プレゼントしてくれるということだった。しかしウッカリもらってしまうと、さらに困ったことになるかもしれないと辞退するが、彼女の強引さに押し切られてしまった。
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ともかくもほうほうの体で昭應宮を出たのだが、まだ後をついてくる。これから「ジミー」の公園に行くと伝えると、何を思ったのか、スマホを取り出しいろいろな人物の写真を見せる。「ジミー」と知り合いなのかと思ったが、見せてくれた写真はみな似ても似つかない。「NO NO」といらだちをあらわにして繰り返し、やっと彼女と別れることができたのだった。
posted by 里実福太朗 at 23:49 | _【new】2019台湾紀行

2019年06月17日

今日のアオバズク

地元の人の話によると、ヘビが巣穴に向かって木を登っていくことがあった時、見張りをしていた親鳥がヘビに体当たりをして下に落としてしまったそうだ。いつも目を閉じて眠っているように見えても、チャンと巣を守っていいるのだ。

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posted by 里実福太朗 at 23:30 | ■里ふくろう通信

2019年06月14日

宜蘭の昭應宮

1808年創建の媽祖廟。
台湾の街を歩いていると、いたる所で派手な装飾を施した建造物を目にする。まつられているのは航海の守り神「媽祖」様ということだが、詳しいことは分からないので、昭應宮に関するパンフレットの一部を載せておく。

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この昭應宮で不思議な雰囲気の女性と遭遇したのだが、そのことはさておき内部の様子を写真で。

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posted by 里実福太朗 at 23:55 | _【new】2019台湾紀行

2019年06月12日

巨大蜂の巣その後

夢うつつの狭間を行きつ戻りつしている間に、例のハチの巣はカミさんによって撤去され、ゴミ袋の中におさめられていた。そこで改めて段ボール箱の中に入れ直して、撮った写真が以下のもの。

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いわゆる蜂の巣状になっているのが見て取れる。中心部はどうなっているのか分からないが、少なくとも目視できる部分はもぬけのカラ、そこからおびただしい数のハチが飛び立っていったに違いない。ときどき庭でハチが飛んでいるのを見たことがあったが、それが巣立ちしたハチだったのかもしれない。

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よくよく見ると、巣の中にアリの姿が見える。ハチの巣転じてアリの巣になっていたようだ。
posted by 里実福太朗 at 21:16 | ■里ふくろう通信

2019年06月11日

巨大な蜂の巣

巨大な蜂の巣が見つかった。カミさんが庭木の手入れをしているときに、偶然見つけたという。よくニュースで取りあげられるスズメバチの巣に似ているから、そうなのかもしれない。

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巣に出入り蜂の姿はまったく見えない。巣の周囲を飛ぶ姿も見えない。蜂は五月頃から巣作りを始めるそうだが、そのような様子を見かけたこともない。今は空き家になっているのだろうか。

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蜂の姿が見えない今のうちに処分しておいた方がいいのだろう。
posted by 里実福太朗 at 22:35 | ■里ふくろう通信

2019年06月10日

石岡市の登録有形文化財

石岡市には十一の登録有形文化財が点在する。下の写真に並んで写っている三つの建造物は、いづれも登録文化財である。向かって左端から、十七屋履物店、久松商店、福島屋砂糖店、なかでも福島屋砂糖店ではご主人からいろいろお話を伺い、また写真も撮らせていただいた。

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昭和六年に建てられた木造二階建ての商家建築。
土蔵造りの壁が、土塀漆喰塗りではなくコンクリートでできているのは大変珍しい。
黒塗りの外壁が重厚さを与えている。
昭和四年の大災後に、伝統的商店建築の意匠で建て替えられた代表例である。
(説明板より)
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明治40年(1907)創業の砂糖問屋で、現在のご主人は四代目、砂糖などはどこでも手に入るご時世だから、小売業だけではとっくに成り立っていなかった、ホテルや菓子店などに納入することで続けてこられた、とおっしゃっていた。

【今も現役】
●はかりなど
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●トロッコ
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posted by 里実福太朗 at 23:13 | ■里ふくろう通信

2019年06月09日

はるばる来たぜ石岡

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posted by 里実福太朗 at 13:25 | ■里ふくろう通信

2019年06月08日

台湾の絵本作家「幾米(ジミー)」

宜蘭は台湾の絵本作家「幾米(ジミー)」の出身地、日本ではまだ知る人は多くはないかもしれないが、彼の作品は日本でも手に入る。前回訪問したあと、どんな絵本なのか興味があったので購入してみた。

そのうちの一冊「君のいる場所(向左走 向右走)」は映画化されたということだ。玄関を出ると左に行く癖のある彼女と、玄関を出ると右に行く癖のある彼がいったんは出会うけれど、その後二人の歩き癖のためになかなか再会を果たせなかった…こんなストーリーの大人の絵本だった。

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君のいる場所(向左走 向右走)
(YouTube)

幾米の作品世界を体感できるスポットが、宜蘭車站(宜蘭駅)周辺に点在する。
【宜蘭車站の駅舎】
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前回訪れたときは、駅名が表示されている部分が改修工事中だったが、今回は駅舎の全体を見ることができた。

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駅舎を出て横断歩道を渡った左手にあるのが「丟丟銅広場」
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駅から南側に少し歩いたところには「幾米公園」がある。今回は立ち寄らなかった。写真は前回行った時の写真。

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posted by 里実福太朗 at 23:40 | _【new】2019台湾紀行

2019年06月07日

台湾のタクシードライバー

三年ほど前、初めて台湾を訪れたとき、松山空港から台北市内までタクシーで移動した。台北市内はかなり渋滞が激しく、車が止まったまま動かないことが何回かあった。そんな折、南国特有のかなり激しいにわか雨が降り出した。タクシーの窓から、乱雑に連なった車の洪水を眺めていると、異国に来んだなという感慨がわいてくる。

「雨あめ降れふれ♪もゥとフレ〜♫」
聞こえてきたのは「雨の慕情」、ただ八代亜紀の歌声ではなく、タクシードライバーが歌っていたのだった。「もっと降れふれ」などと歌ってほしくはない雲行きではあるが、日本から来たお客さんへのサービスかもしれないと思い返し、台湾華語で「上手ですね」はどう言うのだろうと考えてみても分かるはずもなく、そのまま繰り返し聞こえてるそのフレーズを聞いていた。

その時は客へのサービスなのかもしれないと思ったのだったが、何回かタクシーを利用するうちに、そうではないのかもしれないと思うようになった。すべてのドライバーにみられる傾向ではないのかもしれないが、お客のことはあまり眼中になく、どうもマイペースにふるまう面があるようだ。

今回、台北のバスターミナルに向っているとき、信号待ちで停車していると、運転席の窓を下げ、路上で物売りをしている人に大声で話しかけ、なにやら小さなバナナの房状の白いもの買い求め、それをルームミラーにぶら下げた。室内にいいニオイが漂ってきた。

業務中に何かを買い求めるなどという自由な振る舞いは、日本ではまず考えられないことだが、台湾ドライバーはそのようなマイペースな面があるといってもいいのかもしれない。そう考えると、あの「雨降れドライバー」も、お客さんへのサービスとして歌ったのではなく、雨降り渋滞のイライラを解消するためか、退屈しのぎに歌っただけだったのかもしれない。

あとで調べて分かったことだが、あの「小さなバナナの房状の白いもの」は、ハクモクレンのつぼみの束だったようだ。台湾の路上でおじさん・おばさんがよく販売していて、芳香剤としての効果があるそうだ。
posted by 里実福太朗 at 14:39 | _【new】2019台湾紀行

2019年06月06日

台北から宜蘭へ

台北から宜蘭へ行くには、台湾鉄道または高速バスを利用する。便利なのは高速バス、料金も安く、短時間で宜蘭に着ける。

宜蘭行きの高速バスには、噶瑪蘭バスの場合は台北轉運站(バスターミナル)、首都客運バスはMRT市政府駅にある市府轉運站(バスターミナル)から乗車することができる。前回訪問時にはは市府轉運站から乗車したが、今回は台北駅近くのホテルに宿泊しているので、台北轉運站から乗車することにした。

バスターミナルは台北駅の北側、市民大道ををはさんで向かい側にある。駅の地下街を抜けていかなければならない。迷子になるおそれがあるので、ホテルからタクシーを利用した。台湾のタクシーは安くて便利だから、利用するのにあまり抵抗感はない。ただ台北の運ちゃんは客慣れしているのか、どうも要領がいい感じだ。この時も、市民大道のあたりで下ろされ、あとは地下道を通って行けと手振りで教える。これではタクシーを利用した意味はないのだけれど。

バスターミナルの1階でバスの乗車券を購入して、エスカレーターで4階の乗り場に行く。

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乗車したバスのシートはユッタリとして、トイレつきだった。

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遠くに「台北101」が見える。


約45分で、宜蘭に到着する。バスの降車場には黄色のタクシーが列を成している。前回はここからタクシーで宜蘭県政府まで行った。その時のドライバーは、おつりを取っておいてもらおうとしたが頑として受け取らなかった。

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今回は宜蘭の町並みを歩いてみたかったので、町の中心に位置する「昭應宮」までタクシーを利用した。ドライバーは乗り込んだときはかなり無愛想な感じだったが、下りるときは別人のように笑みを浮かべていた。

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地図中央左寄りの円形部が、宜蘭城の城壁の跡、今は広い道路となっている。
posted by 里実福太朗 at 23:00 | _【new】2019台湾紀行

2019年06月05日

上野動物園のフクロウ

上野動物園にはフクロウがいる。
いわゆる一般的なフクロウとコノハズクがそれぞれ一羽ずつ。

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posted by 里実福太朗 at 23:30 | ■里ふくろう通信

年間パスポート

上野動物園の入場料は一般600円、65歳以上300円、年間パスポートは一般2400円、65歳以上は1200円、簡単な計算ですぐ分かるように、かなりお得なサービスだ。

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去年購入したパスポートは4月で切れてしまったので、今年も購入した。
posted by 里実福太朗 at 22:00 | ■里ふくろう通信

一ヶ月ぶりの不忍池


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同じ日常が続いていた

posted by 里実福太朗 at 13:24 | ■里ふくろう通信

2019年06月04日

格安ツアーで台湾へ

それにしても安い。航空券とホテルだけ旅行会社で予約を取ってもらうフリーのツアーとはいえ、三泊四日で2万7千円とは本当に格安だ。ホテル指定・ツインルーム確保のための費用、さらに空港使用税などの税金類を加えてもほぼ4万円とはありがたい。もっとも航空会社はLCC、だからこの料金が可能なのだろう。

LCCを利用するのは今回が初めて。シンガポール航空のLCCで台北を経由してシンガポールまで飛ぶ。低価格なのは魅力的だが、今までなんとなく敬遠してきたのは想像される座席の狭さ。ただ、台湾まではほぼ4時間、そのくらいなら我慢できないことはなさそうだ。

横一列の座席数は「3/3/3」の9席。座ってみると、前席の背もたれとの間隔は案外広かった。隣の席との間隔もある程度確保されていて、窮屈な感じは受けない。以前ヨーロッパに行ったとき乗ったエコノミークラスの座席の方が窮屈だった印象が残っている。

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カーテンで区切られた前方は、ビジネスクラスにあたるスクートビズの席。エコノミークラスでは食事は提供されないうえに、飲食物の持ち込みも不可。機内で購入することもできるが、ほとんどの人はジット我慢していた。安定飛行に入ってしばらくしてからカーテンが閉められた。そして漂ってきたのは、空腹感を刺激するおいしそうな料理のニオイ、カーテンの中では食事の提供が始まったようだ。

ムムム!香辛料多めの食事のニオイは、カーテンごときで遮ることなんかできるわけないだろ!!

注文するつもりはなくても、ついついメーニューを見て、彼らはどんなモノを食べているのだろうと想像してみるのだった。

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なお帰りに乗った機材は、横一列の席数は「3/3」、また戦後左右の間隔も狭かった。
posted by 里実福太朗 at 22:00 | _【new】2019台湾紀行

2019年06月03日

92歳の老婦人

「日本人ですか」
二二八紀念館で展示物を見てまわっているとき、突然問いかけられた。若い女性と連れだったかなり高齢の女性だった。訛りのまったくないきれいな日本語だったので、でっきり日本人だと思った。

「この子が、あの人たち日本人のようですよ、と言うものですから、ちょっと声をかけてみました」

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その高齢の女性は、日本人ではなく92歳の台湾人、若い女性は、東南アジアから働きに来ているヘルパーさんだった(専任のドライバーもいるそうだ)。92歳ということは終戦の時は二十歳、生まれた育った20年間は日本統治の時代、日本語の教育を受けて生きてきたということだ。きれいな日本を話すのも納得できる。現代の日本ではあまり聞くこともない正統派の日本語を話す人が目の前にいた。子供たちはみな海外に移住して、現在台湾で一人暮らしをしているということだった。

台湾の高齢の人は日本語を話せる、と耳にすることはあったが、実際にそういう人と出会ったのは初めてのことだった。
posted by 里実福太朗 at 23:51 | _【new】2019台湾紀行

2019年06月01日

二二八紀念館

二二八紀念公園の南端に「二二八紀念館」がある。

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この建物は、日本統治時代の1930年に台北放送局として建てられた。戦後、中華民国によって接収され、「中国広播公司」となり、その後台北市に移管された。

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かつて使われた放送局の設備


1947年に二二八事件が発生すると、抗議する人々によって台湾全土に向けた放送が始まった。しかし抵抗運動が武力によって鎮圧されたあとは、戒厳令が布かれ台湾の暗黒の時代が長く続いた。

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1987年の戒厳令解除を経て、事件と深い関わりがあったこの旧放送局が整備され、1997年2月28日に二二八紀念館として開館した。

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posted by 里実福太朗 at 00:28 | _【new】2019台湾紀行