ジャーマンだけあって花は大柄。
イチハツもまだ咲いている。
ジャーマンアイリスより前に薄橙色の花が咲いたが、これもジャーマンアイリスなのだろうか。
2017年04月29日
ジャーマンアイリスが咲いた
posted by 里実福太朗 at 23:50
| ■里ふくろう通信
2017年04月26日
パリが愛した写真家 ロベール・ドアノー<永遠の3秒>
改修成った東京都写真美術館で、ロベールドアノーのドキュメンタリー映画をみた。
監督は彼の孫娘。そのためだろうか、写真家ドアノーの家庭内での様子もしっかりと描かれていた。ドアノーの写真の中でも、とくに子供を撮った作品に心惹かれるのは、それらの写真には彼の家族との接し方が知らず知らずのうちに滲み出ているからだ、ということをこの映画が気づかせてくれた。
ドアノーを一躍有名にした「パリ市庁舎前のキス」という作品が、改修前の美術館壁面に展示してあった。その写真はどうなったのだろうと気になり裏の出入り口にまわってみたところ、以前と同じように展示されていた。
ドアノーが語った言葉で印象に残ったいくつかを、以下に記しておく。
『不服従と好奇心は、写真家の原動力だ』
『新しい出会いが、新しい写真を生む』
『ありふれた風景だって、角度や時間によって美しさを放つことができる』
『今まで成功した写真はせいぜい300枚。一枚が1/100秒だとすると、50年でたったの3秒』
監督は彼の孫娘。そのためだろうか、写真家ドアノーの家庭内での様子もしっかりと描かれていた。ドアノーの写真の中でも、とくに子供を撮った作品に心惹かれるのは、それらの写真には彼の家族との接し方が知らず知らずのうちに滲み出ているからだ、ということをこの映画が気づかせてくれた。
ドアノーを一躍有名にした「パリ市庁舎前のキス」という作品が、改修前の美術館壁面に展示してあった。その写真はどうなったのだろうと気になり裏の出入り口にまわってみたところ、以前と同じように展示されていた。
ドアノーが語った言葉で印象に残ったいくつかを、以下に記しておく。
『不服従と好奇心は、写真家の原動力だ』
『新しい出会いが、新しい写真を生む』
『ありふれた風景だって、角度や時間によって美しさを放つことができる』
『今まで成功した写真はせいぜい300枚。一枚が1/100秒だとすると、50年でたったの3秒』
posted by 里実福太朗 at 23:58
| ■里ふくろう通信
2017年04月21日
2017年04月19日
2017年04月16日
2017年04月15日
ニオイイリスが咲いた
ニオイイリスが一輪咲いた。過去のブログで確認してみたところ、去年は4月13日に開花したという記述があった。今年は暑くなったり寒くなったりの迷い春だが、花の開花の時期はあまりずれることはなかったということだ。
イチハツの蕾もだいぶ紫に色づいてきたから、近々咲くことだろう。
初めて庭のイチハツについて書いたのはいつのことなのか、過去のファイルをさがしてみたところ、どうやら初出は平成15年4月、今から14年前のことだったようだ。そのころ開設していた「ふくろう共和国」(そのころは猫ではなく、フクロウに興味を持っていた)の「福朗随想」というコーナーに、「いちはつ」と題した記事を載せている。
「イチハツ」 平成15年4月27日
写真もアップしてあるが、そこに写っているのは「ニオイイリス」、そう、その当時は、恥ずかしながらニオイイリスのことをイチハツだとかん違いしていた。そもそもかん違いの原因は母親にあったのだが、その事実を知らずに他界してしまった。その後ある人からイチハツを株分けしてもらい、今に至るまで毎年花を咲かせてくれる。
イチハツの蕾もだいぶ紫に色づいてきたから、近々咲くことだろう。
初めて庭のイチハツについて書いたのはいつのことなのか、過去のファイルをさがしてみたところ、どうやら初出は平成15年4月、今から14年前のことだったようだ。そのころ開設していた「ふくろう共和国」(そのころは猫ではなく、フクロウに興味を持っていた)の「福朗随想」というコーナーに、「いちはつ」と題した記事を載せている。
「イチハツ」 平成15年4月27日
写真もアップしてあるが、そこに写っているのは「ニオイイリス」、そう、その当時は、恥ずかしながらニオイイリスのことをイチハツだとかん違いしていた。そもそもかん違いの原因は母親にあったのだが、その事実を知らずに他界してしまった。その後ある人からイチハツを株分けしてもらい、今に至るまで毎年花を咲かせてくれる。
posted by 里実福太朗 at 14:58
| ■里ふくろう通信
2017年04月12日
フジフイルム・フォトコレクション展 日本の写真史を飾った写真家の「私の一枚」
アンソロジーといえば異なる作者の作品を集めたもの、特に詩歌をおさめたものが多い。たとえば万葉集から始まり古今和歌集へと続いていく和歌のアンソロジー、漢詩集としては懐風藻などが有名である。
文学作品に限定しなければ、表題の写真展も一種のアンソロジーと言うことはできるだろう。採録された写真家は101名、和歌の世界の百人一首のようなアンソロジーということになろう。
このアンソロジーの選者は誰なのだろうか。作品の受け止め方は人それぞれ違うのだから、選ぶ人によって、選ばれる写真家も写真も変わってくるはずだ。図録に目を通してみたが、選定に関する記述はなかった。ただ、写真一枚ごとに解説を加えている人が、執筆者として名前が記載されているので、その人たちが選定に関わっているということなのだろうか。
展示されている写真の一枚一枚は、その写真家の代表作であるかどうかは分からないが、見ごたえのある写真ばかりだった。
posted by 里実福太朗 at 00:45
| ■里ふくろう通信
2017年04月10日
2017年04月05日
2017年04月04日
Kindle版「子ねこたちの無人駅」発売開始
Kindle版フォト草子の二作目となる「子ねこたちの無人駅」が、本日(2017/04/04)発売の運びとなりました。
この本の写真は、一作目の「東京ねこ公園物語」より前に撮影したものですが、ねこ写真を撮り続けるきっかけとなったものです。ということで、これ以後今に至るまで、猫にカメラを向け続けています。
【内容】
写真のテーマ探しのために訪れた房総の無人駅で、思いがけなく四匹の子ねこたちと出会う。次第に警戒心を解き、ホームで無邪気に遊ぶ子ねこたちを、カメラはさまざまな角度から追い続ける。無人駅とその周辺の状景を交えながら、子ねこたちとの奇跡的な出会い、そして別れまでを描いたフォト草子(写真入り物語)。
〔目次〕
序章 テーマ探しの小旅行
第1章 里見駅まで
第2章 旧里見村
第3章 ホームの子ねこたち
第4章 里見駅午後4時9分発
終章 再有人化後の里見駅
【フォト草子シリーズ】
1.東京ねこ公園物語
2.子ねこたちの無人駅
この本の写真は、一作目の「東京ねこ公園物語」より前に撮影したものですが、ねこ写真を撮り続けるきっかけとなったものです。ということで、これ以後今に至るまで、猫にカメラを向け続けています。
【内容】
写真のテーマ探しのために訪れた房総の無人駅で、思いがけなく四匹の子ねこたちと出会う。次第に警戒心を解き、ホームで無邪気に遊ぶ子ねこたちを、カメラはさまざまな角度から追い続ける。無人駅とその周辺の状景を交えながら、子ねこたちとの奇跡的な出会い、そして別れまでを描いたフォト草子(写真入り物語)。
〔目次〕
序章 テーマ探しの小旅行
第1章 里見駅まで
第2章 旧里見村
第3章 ホームの子ねこたち
第4章 里見駅午後4時9分発
終章 再有人化後の里見駅
【フォト草子シリーズ】
1.東京ねこ公園物語
2.子ねこたちの無人駅
posted by 里実福太朗 at 11:40
| ■里ふくろう通信
2017年04月02日
純喫茶「丘」
街にはセルフサービスのカフェが乱立して、ひと頃はやった純喫茶はほぼその姿を消してしまい、その呼び名もすでにホコリをかぶった響きとなってしまった。
先日遅い昼食をとろうとアメ横付近を歩いていたとき、偶然「純喫茶 丘」という看板が目に入った。ふと気になって古びたメニュー陳列棚をのぞいてみると、変色したメニューカードやら年代物のコーヒーミルやらが並べられているだけで、営業中という雰囲気は皆無だった。呼び名だけでなくお店全体がホコリまみれになっているような状態なのかもしれない。そんな感じだった。
さてどうするか、思案しながら周囲をうかがうと、『地階 純喫茶 丘』という鮮やかな表示板が、下へと通じる階段の途中に見えた。営業はしているのだろう、意を決して地下一階へと下りたのだった。
店内は、改装することもなく昭和の時代をそのまま引きずってきたという雰囲気だった。椅子の座面はところどころすり切れ、中身が顔を出している。壁に貼ってあるメニュー表は、セピア色といえば聞こえはいいが、うす茶色に変色している。ひょっとして一度も変えたことがないのかもしれない。店の評価としてはマイナス材料となるのに、なつかしさを引き立てる好ましさと映ってしまうのだから、不思議なものだ。
注文したナポリタンは、トマトソースがたっぷりとからめてあって、これも昭和の雰囲気の中で味わうのにふさわしい一品だった。
先日遅い昼食をとろうとアメ横付近を歩いていたとき、偶然「純喫茶 丘」という看板が目に入った。ふと気になって古びたメニュー陳列棚をのぞいてみると、変色したメニューカードやら年代物のコーヒーミルやらが並べられているだけで、営業中という雰囲気は皆無だった。呼び名だけでなくお店全体がホコリまみれになっているような状態なのかもしれない。そんな感じだった。
さてどうするか、思案しながら周囲をうかがうと、『地階 純喫茶 丘』という鮮やかな表示板が、下へと通じる階段の途中に見えた。営業はしているのだろう、意を決して地下一階へと下りたのだった。
店内は、改装することもなく昭和の時代をそのまま引きずってきたという雰囲気だった。椅子の座面はところどころすり切れ、中身が顔を出している。壁に貼ってあるメニュー表は、セピア色といえば聞こえはいいが、うす茶色に変色している。ひょっとして一度も変えたことがないのかもしれない。店の評価としてはマイナス材料となるのに、なつかしさを引き立てる好ましさと映ってしまうのだから、不思議なものだ。
注文したナポリタンは、トマトソースがたっぷりとからめてあって、これも昭和の雰囲気の中で味わうのにふさわしい一品だった。
posted by 里実福太朗 at 14:09
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