上野公園のソメイヨシノは、はや満開が近いそうだが、佐倉の城址公園のさくらは、昨日の時点でまだ一分咲きといったところか。例年花見客で賑わう広場は、まだ人影もまばらだった。
上野のオオカンザクラは、もうとっくに盛りを過ぎているが、こちらではちょうど見ごろとなっていた。
2015年03月29日
佐倉のさくらは一分咲き
posted by 里実福太朗 at 23:55
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2015年03月23日
銚子電鉄_銚子から外川へ
今年の写真塾の合宿地は銚子。京成線・成田線と乗り継いで2時間以上かけて銚子駅にたどり着いた。風は冷たかったが好天に恵まれ、銚子電鉄のホームはスタンプラリーに参加する親子連れで賑わっていた。
ホームで待っていたのは全身イエローに塗られた臨時電車、2012年に復活した銀座線開業当初のボディーカラーで車両自体もかつて銀座線で走っていたのものだ。
ほぼ20分で終点の外川駅に着く。駅前には、現役を引退した「デハ800形801」の車両が展示されていた。この車両は、昭和25年に帝國車輌で製造され、伊予鉄道600として活躍後、銚子電鉄の主力車両となった(銚子電鉄のパンフレットより)。現在その車内では、往時を偲ばせる品々が陳列されている。
ホームで待っていたのは全身イエローに塗られた臨時電車、2012年に復活した銀座線開業当初のボディーカラーで車両自体もかつて銀座線で走っていたのものだ。
ほぼ20分で終点の外川駅に着く。駅前には、現役を引退した「デハ800形801」の車両が展示されていた。この車両は、昭和25年に帝國車輌で製造され、伊予鉄道600として活躍後、銚子電鉄の主力車両となった(銚子電鉄のパンフレットより)。現在その車内では、往時を偲ばせる品々が陳列されている。
posted by 里実福太朗 at 23:48
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2015年03月19日
上野の山はお花見準備
桜の開花予報では、東京の開花は26日頃になるらしい。平年は25日ということだから、早くもなく遅くもないということなのだろう。
東京の開花を判断する標本木は靖国神社にあるが、もちろん場所によっては開花が前後するので、独自に開花を判断する基準木を定めているところもある。上野公園でも独自に設けていて、トーテムポールの前の木が基準木とされている。昨日その木の様子を見に行ったところ、蕾の先端が割れて赤みを帯びていた。
園内ではお花見客を受け入れる準備が着々と進められていた。
園内が花見客でごった返すこの季節、公園猫は身を潜めて過ごさなければならず、人間とは違った意味で、
「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」
という心境になるに違いない。チャコの居場所の前には、大きなゴミ入れが設置されてしまったから、花見の季節はほかの場所に移動せざるを得ないだろう。
東京の開花を判断する標本木は靖国神社にあるが、もちろん場所によっては開花が前後するので、独自に開花を判断する基準木を定めているところもある。上野公園でも独自に設けていて、トーテムポールの前の木が基準木とされている。昨日その木の様子を見に行ったところ、蕾の先端が割れて赤みを帯びていた。
園内ではお花見客を受け入れる準備が着々と進められていた。
園内が花見客でごった返すこの季節、公園猫は身を潜めて過ごさなければならず、人間とは違った意味で、
「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」
という心境になるに違いない。チャコの居場所の前には、大きなゴミ入れが設置されてしまったから、花見の季節はほかの場所に移動せざるを得ないだろう。
posted by 里実福太朗 at 23:50
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2015年03月17日
東大寺二月堂の「おたいまつ」
修二会の法要は11名の練行衆(東大寺のお坊さん)によって進められる。期間中の毎日、午後一時から深夜まで一日六回の法要が行われる。三回目の法要は午後七時から行われるが、その際、二月堂へ上がっていく練行衆の足許を照らすために松明がともされる。これがいわゆる「おたいまつ」である。
午後七時ともなれば崖上の二月堂はすでに闇の中、そこを大きな松明が火の粉をまき散らしながら走り抜けていくのである。その圧倒的な迫力は、崖下から見上げる観客の感嘆のどよめき引き出し、立ち上がる煙は漆黒の空へ吸い込まれていく。
午後5時50分頃、次第に人が集まってくる。
午後6時10分頃、さらに観客が増える。
午後6時30分頃、だいぶ暗くなってきた。
午後7時10分頃、火がともされた。
午後七時ともなれば崖上の二月堂はすでに闇の中、そこを大きな松明が火の粉をまき散らしながら走り抜けていくのである。その圧倒的な迫力は、崖下から見上げる観客の感嘆のどよめき引き出し、立ち上がる煙は漆黒の空へ吸い込まれていく。
午後5時50分頃、次第に人が集まってくる。
午後6時10分頃、さらに観客が増える。
午後6時30分頃、だいぶ暗くなってきた。
午後7時10分頃、火がともされた。
posted by 里実福太朗 at 01:25
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2015年03月15日
お水取り
東大寺の修二会が「お水取り」と呼ばれる所以は、その名の通りお水を取る行事があるからで、そのお水は二月堂の階段を下りきった右手にある若狭井から汲み上げる。そしてそのお水は、ご本尊の十一面観音に香水(こうずい)として供えられる。また、須弥壇下の香水壺に蓄えられ、供花の水としても用いられるという。
このお水取りの儀式は、修二会の12日目の深夜(3月13日午前1時30分頃)に行われるため、特にこの日は多くの人が繰り出し二月堂周辺は大変な混雑となるそうだ。当方が出かけたのは3月6日で「お水取り」の日ではなかったが、それでも「おたいまつ」目当ての人で大混雑となった。
この場所から香水が湧き出ることに関しては、福井県若狭彦神社の神様である遠敷明神(おにゅうみょうじん)にまつわる言い伝えがあるそうだが、長くなるので割愛する。ともかく、若狭の国からこの地に届けられた香水は、黒白2羽の鵜が飛び立った際に湧き出たという。若狭井が屋内にある閼伽井屋(あかいや)の屋根には、伝説の鵜の鳥がのっている。
このお水取りの儀式は、修二会の12日目の深夜(3月13日午前1時30分頃)に行われるため、特にこの日は多くの人が繰り出し二月堂周辺は大変な混雑となるそうだ。当方が出かけたのは3月6日で「お水取り」の日ではなかったが、それでも「おたいまつ」目当ての人で大混雑となった。
この場所から香水が湧き出ることに関しては、福井県若狭彦神社の神様である遠敷明神(おにゅうみょうじん)にまつわる言い伝えがあるそうだが、長くなるので割愛する。ともかく、若狭の国からこの地に届けられた香水は、黒白2羽の鵜が飛び立った際に湧き出たという。若狭井が屋内にある閼伽井屋(あかいや)の屋根には、伝説の鵜の鳥がのっている。
posted by 里実福太朗 at 22:40
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東大寺二月堂の修二会_お水取り
東大寺二月堂で1200年以上絶えることなく続いてきたという修二会(しゅにえ)という法会は、新暦の三月一日から十四日までの毎日行われる。旧暦でいえば二月に行われる法会なので修二会と呼ばれ、一般には「お水取り」として知られている。
posted by 里実福太朗 at 00:25
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