2014年01月01日

アメ横の喧噪を引きずりながら迎える新年

昨日のアメ横の喧噪ぶりにはすさまじいものがあった。かつて身を任せざるを得なかったあの通勤電車の混雑ぶりを思い起こさせるほどのひどさだった。ニュース番組では、毎日のようにアメ横の混雑ぶりが喧伝されていたのだから、その喧噪はメディアの演出によって引き起こされたものとも言えよう。

京成上野駅の改札口の手前に、アメ横への案内板が設置されていた。アメ横に初めて来る人のためのものと思われる。そういう人たちは、きっとテレビなどでアメ横の安売り情報を得て、行ってみようという気になったのだろう。そしてあの混雑ぶりを招くことになったのだ。

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その混雑は、上野側のアメ横入り口付近からすでに始まっていた。交通整理の警察官が、拡声器で左側を歩くようにと声をからして叫んでいた。その中に身を投じるのを一瞬ためらったが、時すでに遅く人混みの中に吸い込まれてしまった。あらがって引き返すことも立ち止まることもできず、流れに身を任せるより仕方がなかった。

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雑踏の流れに棹差すように歩いて行けば、昔からよく言われている日本人の特性がふと頭をよぎる。人の流れがある方向を向けば、またたく間に多くの人たちが一斉にその方向を向いてしまうという傾向のことだ。最初はその流れを傍観しているのだが、気がつかないうちに実は大きなうねりの中に取り込まれてしまっていて、気づいたときにはもう為す術がなくなってしまっている、そんな危惧を実感として抱かせるアメ横の人の波だった。

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流れに身を任せていれば楽なのだが、誰かがつまずいて転べば、将棋倒しのようになって転倒する人が続出することだろう。そんなことを想像すれば、恐怖感すらわいてくる。この人波に交差する細い路地には人影は少ない。その路地に抜け出すことができれば、一息つけそうだ。必ずその路地に抜け出すのだという決意を固め、人波の抵抗をはねのけて、やっとのことで流れを切るようにして横に抜け出すことができたのだった。

狭い路地には、両側に狭い間口の小さな店が続き、客足は少なく閑散としていた。暇をもてあました店員さんが、通りをびっしりと埋めて動いていく人の流れをぼんやりと眺めていた。
posted by 里実福太朗 at 23:50 | ■里ふくろう通信